メメシーブログ

女々しく生きて何が悪い

不登校でいいじゃないか。

緊急事態宣言が仮に発令しても

学校は授業を続けるそうですね。

 

こんな時期です学校に行きたくない児童

不登校になってもいいよと思います。

 

そもそも今の文部科学省管理化の学校教育

そして学校はもはや不要です。

 

30年ぐらい前になるかな、私は学校が嫌いでした。

授業もいつも早く終われと願っていました。

 

30年前は今のようにネットもスマホも充実していない時代ですよ。

 

家にファミコンがあるぐらいです。

 

家に帰ったらファミコンして漫画書いたり

人形ごっこなどをしていましたね。

 

空想の世界に入り浸りたかったのです。

 

こんな私でも図鑑を読むことが大好きでした。

私の場合日本史や生物の知識はだいたい

学校の教科書ではなく図鑑がベースになっています。

 

学校で教わった知識ではなくて市販の雑誌や図鑑や本が知識

のベースになっている人は少なくないのではないでしょうか。

 

自主的に関心のあることを学んだ方が人

は学習しますからね。

 

自主性を引き出す教育

モンテッソリー教育の話をしてみたいかと思います。

 

1907年にイタリア人女医マリアモンテッソーリーが

考案したモンテッソリー教育、これって実は世界中が

注目して採用しようとした教育なんですね。

 

しかし1914年ごろから世界大戦が起きてモンテッソーリー教育

に世界各国が関心を示さなくなったのです。

 

軍隊式の教育を取り入れるようになりました。

現代の学校教育は軍律重視の教育ですからね。

 

時代遅れといより日本も世界もモンテッソーリー教育

ではなく軍律重視の教育を選んだ形になります。

 

 

もしモンテッソーリー教育が取り入れられていたら

世界は大きく変わっていたでしょう。

二度目の世界大戦も起こらなかったかもしれません。

 

私自身、押し付けられたり関心のないことは全く

身に付かないタイプでした。

そもそも子供は義務や押し付けがキライです。

興味のあることだと楽しくなり学ぶ意欲が沸きます。

 

苦手科目と得意科目の差は興味があるないかの差ですね。

ただそれだけです。

 

人は興味関心のある物はすぐに覚えます。

意味や関心に結びつけたら記憶処理が活発化して

物事を吸収します。

 

学校の授業などは授業の内容を子供達の興味を喚起

しないものばかりです。

 

なので子供達は授業に退屈して勉強しても内容が

頭に入ってこないのです。

 

モンテッソリーでは大人の価値観と子供の価値観は別物である

ということが前提になっています。

子供の価値観や常識基準で教育をします。

 

どんなことも長続きしない子供がいました。

でも草木採取大好きな子供でした。

 

モンテッソリー教育に携わる教師は草木を押し花にして

その子供に見せて関心を持たせました。

 

子供は押し花をきっかけに

 

本作りや押し花に名前を書くための文字を書く練習

するようにまりました。

カルタ作りなど幅広く学習の関心が広がりました。

 

数学が苦手な子供がいたとします。

 

モンテッソリー教育風にあてはめたら。

ゲーム好きな子供がいるとします。

ゲームを作るためのプログラミングを覚えたり

プログラミングで必要な演算を覚えるために

数学を覚えたりすることでしょう。

興味や関心の裾野が広がるので子供は自発的に勉強します。

want to状態になるのです。

 

AIやロボットが台頭していく中、偏差値重視の教育ばかり

をしているとその子供達の将来も危うくなります。

 

中教審のメンバーの東北大学総長の西沢潤一は

こういっていました。
「偏差値は簡単に言えば記憶力、あまりモノを覚えると
考えなくなる。だから高学歴なのにオウムに引っかかる。」

 

今の学校は未だにか、先生の言うことや記憶できる吸収できる

子供が優等生になる仕組みです。

 

サーイエッサーって叫んで反射的に言われたことを

こなす奴が評価されるまさに軍隊と一緒ですね。

 

洗脳され易いタイプの子供ほど学校では優等生になります。

 

モンテッソーリー教育は「おもしろい」「楽しい」という

生の充実感、生の躍動感を重視した教育です。

 

感情や情緒も落ち着いてくるので陰湿なことを考えなくなります。

いじめや非行なども防ぐことができます。

 

ほとんどの人は不登校の子供やゆたぼんなどを一方的に批判して

どうして彼らが学校に行かない理由を考えていませんね。

文部科学省管理下教育では不登校問題は解決できませんね。

 

同年代の子が数十人集まってそこで優劣を競っている状態

出来ない子は出来る子に対して劣等感を持ちます。

 

出来る子は出来る子で出来ない子と一緒に授業を受ける

ことに苦痛を感じます。

 

学校はクラスメイトをかけがえのない仲間であると

豪語しますが子供達は一方的な押しつけだと感じています。

 

スクールカーストが小学校高学年頃からできあがり

いじめなどが起きます。

 

スクールカーストもいじめも建前上、平等な環境だから

こそ発生しているのです。

 

学校制度に問題があるのに子供に行けというのは

おかしい話ですね。

 

国は学校のシステムを変える気は国家が崩壊しても変える気

が0でしょう。

 

フリースクールに通わせる、モンテッソーリー教育

を行っている国に留学させるか不登校を貫いて自主的

に勉強させるかです。

 

不登校児は学校で授業受けても授業の内容を聞いても

身に付かず、クラスメイトと先生に潰されるだけです。

 

そうなると非行に走るか不登校よりもひどい状態とも

言える引きこもりになる怖れがあります。

 

ゆたぼんは英断だと思いますね。

彼は違う世代の大人と交流していますからね。